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歴史観光 [地域振興]


山形県において今後最も期待できる産業の一つに歴史観光産業がある。その理由としては、供給側である山形県内にはかつて知名度の高い大名・人物が多数所在していたことから史跡も多く、また、様々な物語の舞台にもなっており、観光スポットが多数存在する。需要側から見ても、今後の高齢化社会の到来が歴史観光を活発化させ、山形県にも多くの人々が訪れると思われる。近年、山形県出身の時代小説家藤沢周平の作品を山形県庄内地方を舞台に山田洋次監督が連続して映画化したことも山形県の歴史観光産業にとってはプラスの材料となっている。
歴史観光については、「序・人物」、「史跡・物語の舞台」、「整備・促進」と3回に分けて、人物・史跡を紹介するとともに、今後の方向性などを考えてみたい。

人物
山形県には、全国的にも知名度の高い歴史上の人物が多数存在する。特に、戦国、江戸時代に集中しており、意外な人物が山形県に関係がある。

伊達家(伊達輝宗、政宗)
伊達といえば仙台が有名だが、伊達政宗は伊達輝宗の子として山形県米沢市に生まれ、後に、豊臣秀吉の奥州平定において宮城県の岩出山に移され、仙台に至っている。山形県は、大きく分けて南部から置賜、村山、最上、庄内と4つに分けられるが、伊達氏は米沢市を中心とする置賜地方を領有した。米沢時代を知るその他の人物としては、家臣の片倉小十郎、伊達成実や、政宗の正室の実家田村氏(←坂上田村麻呂の子孫という話も。忠臣蔵の浅野公が切腹したのもこの田村氏の屋敷である。)などがいる。
最上家(最上義光)
山形県の県庁所在地、山形市を中心とする村山地方から北部地域を支配していたのが最上氏であり、関が原以後に57万石という大藩になったものの、お家騒動が起こり改易となっている。村山地方には、最上氏以後大きな藩、長期継続した藩がなかったために、今も最上氏が代表的な大名となっている。2回目の物語のところで詳細は述べるが、改易された最上氏の一門山野辺氏は意外な形で多くの人に知られるようになる。また最上氏とは直接関係ないが、山形城では後に会津藩主となる将軍徳川家光の異母弟保科正之が一時藩主であったこともある。
上杉家(上杉景勝、上杉鷹山)
豊臣秀吉によって越後から会津に領地替えさせられたときに、米沢を中心とする置賜地方もその版図に組み込まれ、家臣の直江兼続の領地となった。このときから山形県南部の置賜地方は上杉氏の支配地域になり、減封などがあったものの幕末まで継続する。知名度の高い藩主としては、初代の上杉景勝、米国ケネディ大統領も知られていた藩政改革の上杉鷹山、忠臣蔵にも登場する吉良上野介の実子上杉綱憲などがいる。その他に、上述した家臣の直江兼続や傾奇者前田慶次(郎)なども上杉家と関係している。

その他にも、江戸時代以後幕末まで庄内地方を領有した徳川四天王の一人酒井忠次の子孫(庄内藩酒井家)、天童には織田信長の次男織田信雄の子孫、幕末の新撰組の前身を作った清河八郎、庄内地方の豪商本間家、そして第3代天台座主円仁(慈覚大師)、源義経・弁慶松尾芭蕉も山形県内に数多くの足跡を残している。


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コメント 1

kenta-ok

上杉鷹山のリーダシップは、現在のビジネスにも通用すると思います。
by kenta-ok (2006-02-19 00:16) 

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