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長井市まちづくりファンド [地域振興]

今、地方の活性化、中心市街地の活性化が全国各地で行われている。新しく独自の企画を展開する地域や、その地域にある観光資源を有効活用する地域などその体制は様々だ。山形県でも新庄市のNPOが中心商店街を一つの「100円ショップ」に見立てた企画を展開し(財)青少年交流振興協会で準グランプリを獲得するなど地域独自の活性化策を展開している。

そのような中、長井市では、長井商工会議所が、長井市と(財)民間都市開発機構とともに、市内の歴史的建造物の保存・活用などを目的に「まちづくりファンド」の設立を検討している。
【民間都市開発機構によるファンド設立の構図】

長井市の場合、当初の基金規模は9,000万円で、市民・企業からの寄付、長井市、民間都市開発機構で各3,000万円ずつ拠出する。民間都市開発機構の限度額は2,000万円だが、特段の必要性が認められる場合には5,000万円まで認められているのに則しての拠出のようだ。ただ市民からの寄付が3,000万円集まるのか非常に難しいとは思われるが。今後に注目したい。

また、長井商工会議所では、NPOを通して大学教授等とも連携し市内の歴史的建造物の調査にも取り組んでおり、登録有形文化財制度の活用も視野に入れた活動も行っている。長井市には多くの歴史的な建造物が多数残されており、この後戦略的に歴史的観光資源を整備活用することができれば、長野県小布施町のように町民の数倍の観光客を呼び込むことも可能となるのではないだろうか。そのためには、小布施町が景観法の成立する14年も前に町の景観に関する「まちづくり条例」を作ったように、長井市として明確なまちづくり戦略を持った行動をとる必要がある。滋賀県長浜市の黒壁などにも見られるが、まちづくりにどのような特色を持たせるかがその戦略の最も重要な核である。長井市はやはり「水と緑と花の長井」と謳っていることから、自然と歴史を溶け込ませるようなまちづくりが最も望ましいと思う。今後も、山形県では初となるこの長井市のまちづくりファンドを活用した地域活性化を継続して追っていきたい。成功すればその他の自治体への波及効果も期待できることから。


特別版:LRT(路面電車)と中心市街地活性化 [地域振興]


パリに約70年ぶりにLRT(路面電車)が復活した。交通渋滞の緩和とクリーンな公共交通手段として環境改善にも注目される。約7.9km間のLRT建設に約3億1000万ユーロ(約479億円)の費用がかかっており、また路線の建設によりかえって交通渋滞を悪化させるという意見もあるが、パリという歴史的な都市における将来の環境等も見据えた都市計画、景観への配慮を考えると適切な政策であったのではないだろうか。LRTは、世界的にもストラスブール(仏)やフライブルク(独)のように環境都市の中心となっており、また今後の中心市街地活性化、高齢化社会に寄与するとして日本でも各地で整備計画が持ち上がっている。本日の日本経済新聞に掲載されていた「改正まちづくり3法」の一つ、改正中心市街地再活性化法(中活法)に基づく地域認定の第1号に富山市が候補になっているのも、昨年整備したLRTによる街づくりが注目されているからである。(同じ候補の青森市はコンパクトシティとして注目されている)。今後、日本においてパリの影響などからもLRT整備が盛り上がってくると思われるが、整備する際は財政状況等も含め十分な分析調査を行い整備しなければならない。日本は一つの都市が整備すると十分な分析をしないまま各地に整備し経営破綻する場合が多いため。
日テレNEWS24(http://news24.jp/73430.html

仙台市・山形市のツインシティ構想 [地域振興]

山形市と仙台市におけるツインシティ構想は、仙台都市総合研究機構、荘銀総合研究所、河北新報社で構成する仙山圏交流研究会による「仙山圏交流フォーラム」の中で取り上げられている。山形市経済圏と仙台市経済圏における交流活性化を目指したものだ。当研究所においても山形経済の活性化に向けた一方策として山形市と仙台市のツインシティ構想を考えていきたい。

元々、ツインシティとは、ミネソタ州のミネアポリスとセントポールの2つの都市を指し、ミネアポリスが政治、セントポールが経済と、それぞれが州の中心となっており、互いに分業してミネソタ州における政治・経済の相乗効果を上げている。大きな構図でみるとアメリカ自体がワシントンとニューヨークという政治と経済の中心を分けている状況にある。しかし、一方、日本においては、山口県下関市と福岡県北九州市の関門海峡を挟んだ2都市がツインシティとして両都市で同様の関門景観条例を施行し関門海峡の景観を大切に保護していたり、青森県青森市と北海道函館市が青函ツインシティとして両都市における施設の共同利用や産業経済での連係など主として交流を基本としたツインシティを形成していたりと、アメリカにおける分業体制という側面はもっていない。その他にも、神奈川県の相模川の両岸にある寒川町と平塚市のツインシティで、ここでは東海道新幹線の新駅誘致や相鉄線の延長などを共同で行っていくことも目的に上げられており、ツインシティの形成要因は県土のバランスある発展となっている。

では、山形市と仙台市によるツインシティでは、どのようなことが目的となりうるのだろうか。そして何を実現できるのであろうか。アメリカの場合、2都市は同じ州の中の2都市であり、政治と経済の中心を分けて互いの相乗効果を発揮できる体制にあるが、しかし、日本においては他県都市間において行われており、分業体制をとることは今のところ不可能である。仮に道州制になり同じ州の中という一つの統治機構に組み込まれた場合には話は異なってくるが、おそらく道州制になっても政治機構が山形市、経済は仙台市という体制にはならないであろう。日本の国として東京一極集中という構図になっており、道州制になった場合には仙台一極集中となる可能性が高い。では、山形市と仙台市間においてどのような関係を築くことが互いに相乗効果を発揮することができるのであろうか。調査によると山形市から仙台市を訪れる人(通勤・通学を除く)の主たる目的は買い物であり、市街地における遊びがメインである。逆に仙台市から山形市を訪れる人の主たる目的は蕎麦等の食べ物や自然に触れる等がメインとなっている。その人数は圧倒的に山形市から仙台市を訪れる人のほうが多く、買い物等に費やす金額も大きく仙台市における経済効果は大きい。まるで日本から海外への人数が海外から入ってくる人数より圧倒的に多いのと類似する面がある。このことは、また改めて観光産業のテーマとして扱いたいが、互いに相乗効果を発揮できないようではツインシティとしての位置付ける意味がない。山形市と仙台市の2都市の特徴としては、他都市と違いこの2都市は両方が県庁所在地で距離が近いということである。それゆえに県都として発展していなければならない山形市がもうひとつ活気がないのは上記したように、より発展している仙台市に顧客が流れている面がある。では、この県庁所在地が近いことによるメリットはどのようにしたら享受できるのであろうか。今後、このような側面も含めて山形市と仙台市のツインシティ構想の目的や相乗効果要因について考え山形経済の活性化につなげていきたい。

(編集後記)
仙台市は伊達政宗が築いた都市であるが、政宗の母親は山形市に本拠を置いた最上家の出であり、互いの都市は親戚都市ともいえる。仲が悪かったというのが痛いところであるが、関が原のときは最上家の支援に回っているので水に流すということで。政宗は父親が米沢市、母親が山形市と完全な山形県人であり、その家臣で宮城県白石市の片倉小十郎もまた山形県人である。このような歴史的な背景からも山形県と宮城県の関係は深く、より交流を深めていければと考える。関が原の後、政宗が徳川家康との密約通り伊達郡(福島県)、信夫郡(福島県)、長井郡(置賜地域)を領有していたら現在どのような都市が形成されていたのであろうか。置賜地域にとって貧しくとも上杉藩の藩都が米沢に置かれたことがよかったのか、伊達100万石の一部分となったほうがよかったのであろうか。「歴史のif」の一つである。

山形新幹線のカリスマ [地域振興]

 

山形新幹線の社内販売員「斎藤泉」さん。一度は聞いたことある人もいるのではないか。販売員片道平均7-8万円の売上げところ、最高で30万円弱を売上げたこともあるカリスマ販売員だ。斎藤さんはパーフェクトゲームを目指しているらしく、そのパーフェクトゲームとは、「私(販売員)が売りたいと思っているもの(カートに積んであるもの)全部を売り上げ、同時に買いたいと思った乗客は全て欲しいものを買ったときに、終点で全部なくなるという状態」のことらしい。自分だけではなく、お客様が満足した状態のパーフェクトを思いつくあたりがカリスマと呼ばれる所以かも知れない。

また、斎藤さんは新幹線内で販売されるお弁当にも大きな貢献をされていて、米沢駅で売られている「すきやき弁当」に温泉卵をつけることを提案し、それまで月の売上げが約500個だったのを約7,000個に飛躍的に伸ばしたアイデアや、「はらくっち弁当」(掲載写真;はらくっちは、山形県置賜地方でお腹がいっぱいの意味。実家の辺りでは“はらくっちい”と語尾に“い”が入るんだけど)の開発にも積極的に参加され山形の味がたくさん詰まった弁当を実現された実績を持つ。

そんな彼女に、山形県の駅弁のみならず、山形県をPRする際のアドバイザーとして季節ごとに加わってもらったらどうか。特に、駅弁を通して山形の食べ物に関しては詳しいと思うので彼女の知名度も活かしつつ全国的なPRになればと思うのだが。まずは、山形を旅行される方向けのPRを彼女が所属する会社と共同で行ってみるのもいいのでは。

彼女の貢献もあると思うが、山形新幹線は他の新幹線より売上げが多いらしい。それは、山形県民は販売員に薦められたら美味しいと信じて買ってくれるという県民性もあり、彼女は「山形は優しい県民性ですね」と表現されていた。


米沢のご当地検定 [地域振興]

米沢商工会議所が企画したご当地検定「米沢観光文化検定」の第1回目が12月3日に実施されるらしい。とうとう山形にもご当地検定が出来ましたか。今後は、米沢藩という置賜地方全域に拡大した検定も出来てくればより観光につながるのではないかと思うのですが。どうでしょうか?

置賜地域は、源義経配下の佐藤兄弟の一族、伊達政宗までの歴代伊達氏、蒲生氏郷、そして上杉景勝・上杉鷹山・直江兼続の上杉藩という、知名度の高い支配者が統治していた地域でもあるので、歴史的にも面白いと思うんですがね。


山形県におけるブランド化戦略-予告- [地域振興]

山形県において地域ブランドを模索する動きが活発化してきた。2005年8月には「ブランド化戦略セミナー」が開催され、2006年3月には『山形セレクションブランド化戦略』が策定されている。山形県には食品、産業、そして観光と魅力的なものが多数あるにもかかわらず知名度が低いままであるために、このブランド化という動きは今後の地域活性化においても一つの核となる施策であり、多くの分野に波及効果をもたらすものであると考える。山形経済研究所においても、この山形県のブランド化戦略をスポーツビジネス、歴史観光などと関連させ考えていきたいと思っています。
参考:
山形県商業経済交流課(ブランド戦略推進室)


歴史観光 [地域振興]


山形県において今後最も期待できる産業の一つに歴史観光産業がある。その理由としては、供給側である山形県内にはかつて知名度の高い大名・人物が多数所在していたことから史跡も多く、また、様々な物語の舞台にもなっており、観光スポットが多数存在する。需要側から見ても、今後の高齢化社会の到来が歴史観光を活発化させ、山形県にも多くの人々が訪れると思われる。近年、山形県出身の時代小説家藤沢周平の作品を山形県庄内地方を舞台に山田洋次監督が連続して映画化したことも山形県の歴史観光産業にとってはプラスの材料となっている。
歴史観光については、「序・人物」、「史跡・物語の舞台」、「整備・促進」と3回に分けて、人物・史跡を紹介するとともに、今後の方向性などを考えてみたい。

人物
山形県には、全国的にも知名度の高い歴史上の人物が多数存在する。特に、戦国、江戸時代に集中しており、意外な人物が山形県に関係がある。

伊達家(伊達輝宗、政宗)
伊達といえば仙台が有名だが、伊達政宗は伊達輝宗の子として山形県米沢市に生まれ、後に、豊臣秀吉の奥州平定において宮城県の岩出山に移され、仙台に至っている。山形県は、大きく分けて南部から置賜、村山、最上、庄内と4つに分けられるが、伊達氏は米沢市を中心とする置賜地方を領有した。米沢時代を知るその他の人物としては、家臣の片倉小十郎、伊達成実や、政宗の正室の実家田村氏(←坂上田村麻呂の子孫という話も。忠臣蔵の浅野公が切腹したのもこの田村氏の屋敷である。)などがいる。
最上家(最上義光)
山形県の県庁所在地、山形市を中心とする村山地方から北部地域を支配していたのが最上氏であり、関が原以後に57万石という大藩になったものの、お家騒動が起こり改易となっている。村山地方には、最上氏以後大きな藩、長期継続した藩がなかったために、今も最上氏が代表的な大名となっている。2回目の物語のところで詳細は述べるが、改易された最上氏の一門山野辺氏は意外な形で多くの人に知られるようになる。また最上氏とは直接関係ないが、山形城では後に会津藩主となる将軍徳川家光の異母弟保科正之が一時藩主であったこともある。
上杉家(上杉景勝、上杉鷹山)
豊臣秀吉によって越後から会津に領地替えさせられたときに、米沢を中心とする置賜地方もその版図に組み込まれ、家臣の直江兼続の領地となった。このときから山形県南部の置賜地方は上杉氏の支配地域になり、減封などがあったものの幕末まで継続する。知名度の高い藩主としては、初代の上杉景勝、米国ケネディ大統領も知られていた藩政改革の上杉鷹山、忠臣蔵にも登場する吉良上野介の実子上杉綱憲などがいる。その他に、上述した家臣の直江兼続や傾奇者前田慶次(郎)なども上杉家と関係している。

その他にも、江戸時代以後幕末まで庄内地方を領有した徳川四天王の一人酒井忠次の子孫(庄内藩酒井家)、天童には織田信長の次男織田信雄の子孫、幕末の新撰組の前身を作った清河八郎、庄内地方の豪商本間家、そして第3代天台座主円仁(慈覚大師)、源義経・弁慶松尾芭蕉も山形県内に数多くの足跡を残している。


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